プロジェクションは幻想
さて、そろそろ独り言らしきことを語ろうかなと思います。
踊りカラクリ語りのカラクリの部分、
そして現代ではおなじみのプロジェクター。
プロジェクターで、絵を映し出す技法をプロジェクションと言いまして。
私はこれを舞台の大道具の代わりをさせているのです。
最近では平昌オリンピックでも大活躍で、舞台装置としても
もう当たり前のような時代になった。
私にとってプロジェクションとはですね。
『幻想』なんです。
え?幻想って当たり前じゃない?
そう思った方。多分、いい意味に捉えていらっしゃるんじゃないかな。
なんでも表現できる、幻想。
でも、一見素晴らしい幻想って実は恐ろしくはないでしょうか?
映像関係、VR(バーチャルリアリティ)といった仮想現実も
現実に近くなるご時世ですが。
私は、幻想の恐ろしさについてちょっと語ると、
全て手に入れたようで
全てを手放している世界だと断言できるので怖くなります。
視覚、聴覚はもう奪われてないでしょうか?
画面の奥に。
五感を奪われた人間が出来上がるのは恐ろしくないですか?
そんな世界を味わう部分が、プロジェクションにもあります。
舞台上で映像を受け止めている時
まさに「孤独の瞬間」
その孤独の瞬間を感じるたびに、
「ああ、なんて切なくもこの世で生きるための全てが大事だろう」
とふと頭をよぎるのです。
ご飯の味覚、
手の温もり、
花の香り
自分の目で感じる自然、
愛を思い出す言葉の息
全てを持っていなくても、何か一つでもこの世に存在している実感があることが
本当は命を持つ身の上で特別だと言われてるような気がして。
私はプロジェクターを使い、語るけれど
決してこのことだけは忘れたくないなと
いつも肝に命じてます。
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