アニミズムや神道にみる共に生きる知恵と作品
今日は自分の頭のメモをご紹介。
私の作品傾向について思うことを纏めてみる。
たまたま自分が関わる物語(古事記やアイヌの梟様や龍もそうだね)が
自然に由来されるためか『共に生きる(共存、共生)』といった感性が含まれてることが多い。
文献なども読むと、この感性は日本の穏やかな天候や土地柄による影響だと書いてあったのを覚えている。
一神教と対にされやすい八百万の神々だが、一つ一つに神が宿り
種別を超え大事にする心意気は平安への願いと祈りを感じる。
(一神教が全てそのような感性を持っていないといっている訳ではありませんのであしからず)
それは人に対して接する感覚も同じで、ただそこに在るだけでも共に生きている意識はずっとある。
この『共に生きる』という感性が作品に根強く在ることが
私の生きる誇りだなって思うことがあった。
人の作品に足を踏み入れたり、観たりすると何処かそれとは真逆なものに出会うことがある。
権力や上下を感じる世界(パワーがあって人を魅了するのは確かなんだけれど)をテーマにされたもの。
分かりやすい反面、強い感性に驚き、どこかで恐怖を感じる。
誰でも持っている心の断片だし、私にだって在る。
ただどこかで支配者のある世界を欲していない自分がいる。
誰かに支配されることも、自分が誰かの支配者になることも。
自分の心の会話でさえ、そうならないといいなと願う。
平等という言葉はバランスが悪い。個々と団が共にある世界を言葉に書き表すのは難しい。
今まで話したこと、実はプロジェクションの舞台にも
言えることだ。繋がってくる。
『人間』と『アニメーション(機械)』の融合とは簡単に言えるが
それは『共存』が基本になっている気がする。
『アニメーション』に命を吹き込むクリエイターは映像に魂を宿す。
それと踊るのが『人間』
他の要素だって欠かせない。
『音楽』『舞台の場所』『観客』と相まって一つになる。
一つになった音色を、私達はなんて呼ぶようになるんだろう。
まだ未知の領域かもしれない。
ある意味たくさんの魂とセッションしてるみたいだ。
要はバランスといえばバランスだけれど、
その調整に使われるキーワードは
『共存、共生』
誰かが主役? 誰もが主役。
誇りを持てる作品ってそういうものなんじゃないか。
そこから生まれる活かすための知恵や理想が、願いが、そして祈りが
私の作品や演出の基盤になっていたら嬉しいなと思う。
また新しい作品も。これからの作品も。
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